日本ベゴニア協会東京支部HP

例会は毎月第三土曜の午後1時半。 吉祥寺の武蔵野公会堂にて

装飾化された秋海棠(橋口五葉)

皆さま、酷暑とゲリラ雷雨の日々、いかがお過ごしでしょうか。

今年はっきりと認識したことがあります。「例年比」だの「平均気温」だの、と過去のデータと比べるのは全く意味がないということ。「今年」が常態化する、あるいはもっとずっとひどくなるかもしれない。それを受け入れ、生活を見直し、対策を練って身の安全を守ることに注力しなければならないでしょう。

もちろんそんな中でも人間らしい生活、日々の喜びは見つけられますよね。私の目下の楽しみは、植物に限ると、変化朝顔「松島」が毎朝たくさん咲いてくれること、です。去年の数倍もの勢いで咲き、早朝のベランダは花盛り。色は青と白の組み合わせですが、模様がひとつひとつ全部違っておもしろい。

それから、一昨年花壇に地植えした秋海棠が、陣地を少しずつ広げてきているのを見るのが楽しみです。花はいつになるかしらね。

 

8月の例会からあっという間に一か月がたちました。これから数回にわたって雑文を書いてみたいと思います。

 

今日は、「装飾化された秋海棠」について。

これは泉鏡花『相合傘』の表紙です。(橋口五葉の装幀、1914年大正3年出版)

初めてこの絵を見たのはピンタレストで、第一印象は「わ、可愛い!大正時代の図案っておしゃれ~」。次に画家の名前を見て「橋口?誰?」。早速調べると、夏目漱石の一連の著作に、表紙装幀を含む、見返しの文様デザインや挿絵などすべてにおいて重要な仕事をした人でした。

あの『吾輩は猫…』の表紙の人か! 「国語便覧」(皆さんもお持ちだと思いますが、国語の資料集ともいうべきもので必携だったと思う。単体で読んでもすごくおもしろい)に、漱石の著作の写真が載っていて、表紙絵は印象に残っていました。

でもこれではまだ「出会った」ことにはなりません。この絵のことはしばらく忘れていました。

2021年ベゴニア協会に入会します。その頃、泉鏡花ファンの夫がオークションで狙っていた本が我が家に届きます。「運よくいい本を落札したよ」「へえ、どんな本?」

あ、これは!しかもベゴニア!秋海棠…そうだったのか。ピンタレストの頃の私は、このモチーフが秋海棠であることも知らなかったのです。なぜってベゴニアに興味がなかったから。それは単にとある植物の花と葉っぱの連続模様にすぎなかった…私の目には、です。

ここでやっと本当の意味で絵と出会い、画家にも関心が湧きました。

橋口五葉、恐るべし。まだブックデザインなどという言葉もなく、書籍の装幀が工芸作品のひとつとみなされることもなかった時代です。五葉は鏡花、漱石のほかにも森鷗外、永井荷風、谷崎、与謝野晶子…といった大作家たちの諸作品を飾って大活躍。引っ張りだこの人気だったんです。

五葉は東京美術学校では西洋画を選んでいますが、日本画や浮世絵にも高い関心を持ち、特に木版画に没頭した時期も。またラファエル前派やアール・ヌーボーの影響も受け、天平文化や古代インドへの憧憬など…枠に収まらない、多様な顔を持つ画家でした。しかし底流を貫いていたのは、やはり日本伝統の装飾文化、とくに尾形光琳が好きだったようです。

また花メン、園芸男子的な側面もありました。無類の花好きで、自分で種を蒔き、栽培し、よく写生していたようです。植物の水彩画や植物図案もたくさん残されています。

明治期末ころ、植物図譜?図はこちらの書籍よりお借りしています。→(橋口五葉 装飾への情熱 | 東京美術)

漱石との出会いは、長兄が熊本の第五高等学校で学んでいた時、漱石が英語教師だったという。のちに漱石は五葉の才能を高く評価し、雑誌『ホトトギス』に挿絵を描くよう、推薦してくれたそうです。

華々しい活躍の最中、そしてなお無限大の可能性を秘めた画家、そんな五葉を不運が襲います。風邪をこじらせ、中耳炎に。それが悪化し、脳膜炎を併発して39歳の若さで亡くなってしまうのです。(1881年明治14年ー1921年大正10年)

 

『相合傘』の秋海棠のほか、女性を描いた一連の作品が好きです。特に「黄薔薇」「髪梳ける女」「長襦袢の女」この三つ。

また五葉は、有名な作品はアイホンケースにもなっています。参考までに。

今日はこの辺で。